メディア評のご紹介

モツ管はこれまで様々なメディアで紹介されてきています。

その一部をご紹介いたします。

後援会会報

横原千史(音楽学者・音楽評論家)

 

第176回定期演奏会2017年6月17日

 

 モーツァルト室内管弦楽団(MKJ)は、定期演奏会で毎回テーマをもっていて、今回は交響曲における先輩ハイドンとの関係について。ハイドンとモーツァルトは弦楽四重奏曲において、音楽史上稀に見る美しい魂の交流があり、ハイドンの《ロシア四重奏曲》に触発されてモーツァルトが四重奏曲集《ハイドン・セット》を作曲して師に献呈したのは有名である。指揮者の門良一は、モーツァルトの三大交響曲第39-41番がハイドンのパリ交響曲第82-84番からの影響があり、作品の性格を決定づける調性が両方とも同じであり、モーツァルトの三大交響曲は「交響曲のハイドン・セット」といえるという。卓越した推論であり、今回は両者のト短調交響曲を演奏会の枠組みとして構成された。

 まずハイドン:交響曲第83番ト短調《めんどり》。冒頭楽章第1主題は生き生きと躍動する。第2主題は「めんどり」の愛称通りの軽やかなもの。展開部はハイドンらしいパウゼ(休止)と転調の妙が楽しめる。緩徐楽章はしなやかな歌で始まり、中間部以降は強烈なトレモロやオーボエとフルートのソロが印象的だ。メヌエットでは弱音の3度の響きがきれい。終楽章は軽快だが、アンサンブルの乱れが少し気になった。

 次はピアノ協奏曲の最高傑作の1つK488。管弦楽提示部は前の合奏精度の甘さを引きずってか、やや乱れはあるものの、全般的にはきれいに進む。独奏の松村英臣は硬質なタッチで、音階パッセージも滑らか。とりわけ第2主題以降が美しい。再現部でも第2主題以降のピアノの輝きとカデンツァの巧さ、オケ後奏の弦楽が光った。モーツァルトでは珍しい嬰ヘ短調のアダージョ楽章は、最初の弦楽が美しい。ファゴットや木管も柔らか。独奏ピアノもこの部分で硬質な音がモノを言う。長調の中間部で管中心の音色がまろやかなで、再現の短調は弦、管、ピアノ共にとてもきれいに引き立てた。終楽章は軽快なテンポで、どの部分もはじける。まさに耳の愉悦。松村のピアノを始め、オケの弦も管も傑作の味わいを出し尽くしてくれた。

 休憩後は演奏会用レシタティーヴォとロンドK505。この曲は伴奏オケに独奏ピアノを含む珍しいもので、こういう曲を取り上げられるのがMKJの強みだ。ソプラノ用だが、メゾに近い歌手ストレースに合わせて作られたレシタティーヴォは、櫻井孝子の声域にもあっているようで、中低音の豊かな響きに魅了される。独奏ピアノの松村はここでも輝かしいタッチを聴かせる。アリアに入ってからも、伸びのある高音が力のある中低音と対比しながら、独奏ピアノと見事に絡んで、このアリアの独特の響きを引き出す。《イドメネオ》の王子イダマンテの苦悩を浮き彫りにして秀逸であった。

 メインは交響曲第40番ト短調K550。冒頭楽章は残念ながらアンサンブルが上質ではない。それでも展開部のリズムの切れ味や激しい頂点形成は面白く聴けた。緩徐楽章は速めのテンポで颯爽と進み、フルート、ファゴット、クラリネットの木管が甘い音色を加える。メヌエットは切迫したリズムが快調な前進駆動を生み出す。特に後半のストレッタ風に畳み掛ける高揚は見事だ。それでこそトリオの柔和な木管アンサンブルとの対比が生きるというもの。終楽章は快速で、モーツァルトの切実な心の動きが透けて見えるように表現された。推移のカノン風の動きや第2主題の透明な美しさ、展開部の厳しい造形など、申し分ない。多少の合奏の乱れはあったが、最後の結びまで緊張感の緩むことなく、傑作に相応しい快演となった。ハイドンとモーツァルトのト短調交響曲を続けて聴いて、知的興奮も味わえる得難いマチネであった。

 

横原千史(音楽学者・音楽評論家)

 

第171回定期演奏会2016年7月30日

 

 最近好調を続けている門良一指揮モーツァルト室内管弦楽団(MKJ)のベートーヴェン・シリーズ第6回は、充実した演奏で聴衆に感銘を与えた。まず交響曲第2番。第1楽章冒頭の序奏から走句がくっきりと鮮やかに響いてきれいだ。sfpなどのデュナーミクも効果的。主部の第1主題は軽快な前進駆動が爽やかで、青年ベートーヴェンの躍動する心を印象づける。序奏同様デュナーミク(強弱法)の表現がうまく、それは第2主題後の力感に満ちたトゥッティにつながってゆく。そしてコーダのエネルギーの蓄積から爆発に至る頂点形成まで一連の大きな流れをなす。門良一の設計の賜物だろう。緩徐楽章は静謐な美しさを湛える。印象的なのは、展開部終わりの低弦と高弦がカノン風に模倣する楽句の独特な和声感と、再現部第1主題の後半で緊張を高めてゆき、第2主題で解決に導く呼吸のうまさ。終楽章は第1主題のトリル動機がウィットに富んで強いインパクトをもつが、展開部でそれがストレッタ風に処理され、長大なコーダではトリル動機の爆発力がとどめをさす。ベートーヴェンの作曲法を生かしたMKJの巧みな演奏である。

 ピアノ協奏曲第4番は大家である池田洋子の独奏。池田の音色はタッチが磨かれていて美しく、独創提示部始めの走句からとてもきれい。トリルや三度並行がきらめいている。再現部第2主題のデリケートさなど、どの部分もいいが、とりわけカデンツァで様々な楽想を豊かに弾き分け、美しい楽句が頻出する。その姿勢はまさに堂に入っていて、さながら女王の貫禄ともいえようか。緩徐楽章については、オルフェオ伝説と関連づけられることもあるが、ピアノの楽句は冥府の神に祈る言葉のように、重厚なオケの響きと対比づけれた。終楽章は華麗なソロと量感のあるオケが渾然一体となって、素晴らしい高揚を作る。特に第1挿入句の再現でのピアノの美しさと、オケの対位法的絡まりの清潔さは、聴きごたえがあった。

 交響曲第8番も特筆に値する出来栄え。冒頭の主題から生き生きとしたリズムで一気呵成に進む。展開部の後半で主題が切迫して重なり、高揚してゆくさまにはワクワクさせられる。その頂点で再現部に突入する。この門の指揮のうまさはどうだろう。これに軽妙な緩徐楽章とややゴツゴツしたメヌエットが対置される。終楽章は溌剌としたリズムが躍動する。この生気が第2主題で急停止され、歌謡風のアンチテーゼとなる。しかしこの弁証法は、通常のソナタ形式の展開部と再現部では止揚されず、第2展開部と第2再現部をもって初めて高次の総合へと導かれる。門良一の理知的な棒はそれを知っての上で、情熱的な爆発も加味する。知情意を兼ね備えた見事な解決(=解釈)といえるだろう。

 

音楽評論家 北川順一

 

モーツァルト室内管弦楽団 第170回定期演奏会

―モーツァルトとハイドン その10―

 

恒例の「モーツァルトとハイドン」シリーズもすでに10回目。当楽団は非常に響きのバランスのよいオーケストラで、たとえばトランペットも、決して突出も委縮もせず、全体の響きに金色の柔和な輝きをもたらしており、はっしと打ちこまれるティンパニもあいまって、その調和のとれたサウンドはとても快い。

『パリ』には、現行の緩徐楽章の他に全く別の初稿が残されており、当夜はその稿も合わせて演奏された。洗練という点では現行版に一歩譲るものの、動的な旋律線が印象的である。もっとも、それゆえパリでは差し替えを求められたのかもしれないと感じる。

モーツァルトの第22番の協奏曲を独奏する内田朎子氏。なんという美しい音色だろうか。いささかの狂いもない完璧なタッチと、内面から自然に発露するリズム感で、細かい連符から朗々たるカンタービレに至るまで、自由自在に生き生きと弾き分けていく。とりわけ溌剌とした終楽章では、まるで作曲者とともに愉悦の境地に戯れているかのようだ。そして表情豊かな管楽器群が、歌心豊かなピアノ・ソロに和声の厚みと柔らかな光輝を添える。

『ロンドン』も、非常に明快かつ重厚な演奏である。とりわけきびきびとした弦楽器群の確信に満ちた動きが、ハイドン最後の交響曲にふさわしい快活さと威厳を演出する。

名があるほどには比較的実演に接する機会の少ない三作であるが、またあらためてじっくりと聴いてみたくなるような、とても印象に残る素敵な演奏会であった。

ますます面白くなったモーツァルト室内管弦楽団~最近の演奏会から

横原千史(音楽学者・音楽評論家)

 

 2016年、創立45年を超えたモーツァルト室内管弦楽団(MKJ)の演奏活動がますます面白くなってきた。最近の演奏会を概観してもその充実ぶりに目を瞠らされる。

 まず昨年末の第167回定期(12月13日)は、フランス音楽特集で、フォーレの《レクイエム》がメイン。これが控え目ながら、優雅で上品で、フォーレにふさわしい名演であった。藤森亮一独奏のサンサーンス:チェロ協奏曲も生真面目でおとなしめであるが好演といえよう。普通は序曲かなんか軽い曲で始めるところを、ベルリオーズ:《キリストの幼時》抜粋を冒頭に置くところが面白く、この楽団の歴史の厚み(1992年に全曲を関西初演)も感じさせる。最近のアリアと協奏曲による特別演奏会(3月13日)も、よくあるような際物的なものではなく、盛りだくさんの中身の濃い夕べとなった。小谷朋子と池田菫のフレッシュなショパンとリストの協奏曲に、MKJの伴奏が充実していたプーランクの2台ピアノ協奏曲、池田洋子と奥村真理の味わい深い独奏が光ったモーツァルトの2台ピアノ協奏曲と、いずれも聴きごたえ充分であった。

 何よりも素晴らしかったのが、《魔笛》を取り上げた第168回定期(1月10日)。いずみホールの《魔笛》は、昨年末東京中心の豪華キャストで上演されたばかり。それはそれでなかなか上出来の舞台で、感心もさせられたが、今回のMKJの《魔笛》はそれをはるかにに上回るものといっていいだろう。歌手の中で特筆すべきはパミーナの鬼一薫で、伸びのある透明な声は清純なこの役にふさわしく、それなりに良かった昨年の砂川涼子や最近の老田裕子(アンサンブル神戸、5月21日)を凌駕していた。松下雅人(ザラストロ)、四方典子(夜の女王)、西尾岳史(パパゲーノ)も素敵な歌唱を披露した。三人の侍女(津山和代、櫻井孝子、山田愛子)と童子(朴華蓮、山田千尋、麻生真弓)も美しいアンサンブルを聴かせてくれた(ちなみに昨年の童子はカウンターテノール3人というやや珍妙なものだった)。何よりも門良一とMKJの上質で、勘所を見事に押さえた解釈が、胸に迫る深い感動を呼び覚ましてくれた。今後の門良一とMKJの活動に注目すべきであり、実際、大いに期待できるだろう。

新聞・雑誌評

◆「音楽現代」2012年6月号

Ongaku201206.pdf
PDFファイル 469.1 KB

 ◆「音楽之友」2010年2月号 

Ontomo201002.pdf
PDFファイル 342.7 KB

◆「音楽之友」2006年3月号 


Ontomo200603.pdf
PDFファイル 336.2 KB

◆「朝日新聞」2006年1月16日夕刊


Asashi201201.pdf
PDFファイル 41.9 KB

◆「毎日新聞」2006年1月13日夕刊


Mainichi20060113.pdf
PDFファイル 521.6 KB

雑誌記事

「パイパーズ」2012年6月号

Pipers201206.pdf
PDFファイル 8.4 MB

 ◆「音楽現代」2006年5月号 


Idomeneo.pdf
PDFファイル 1.7 MB